若いのに面倒見のいい女性とレストランに入る前に
私は今までほとんどクラブを利用したことがない。
不確かな記憶を辿れば、今から約3年前であろう。
新宿にあるレストランで食事をしたことがあった。
クラブという言葉が一般社会に浸透しだしてきたのもおそらくはその時からであろう。
それから3年を過ぎた今日は「交際クラブ・デートクラブ」という言葉はもう既に、ほとんどの人が知っていることである。
■部下たちとの飲み会の後に
仕事が終わった後、私が期待をかけている部下の一人が、最近はなかなか私と飲める機会がなかったと言って、無理やりに私たちを居酒屋に連れて行ったことがある。
なんでも非常に評判が良い居酒屋だというのだが、ビールを飲んだところ、私が通っているバーのビールとは程遠いものだったので、私はこれなら行きつけのバーに誘えばよかったと思った事があった。
しかしながら、その居酒屋では部下たちが私の「今日は無礼講だ」との掛け声によって上司と部下、先輩と後輩の区別なく楽しんでいた。
なので、せめて私も他の人がプライベートでどのような言葉遣いをしているのか、現在はどのような若者言葉が生まれているのか、ということを分かるようにしておきたいと思って、彼らと積極的にコミュニケーションを取っていた。
飲み会が終わり帰る頃には風がだんだんと強くなってきて、公園の外れからそのまま帰るか、歓楽街に立ち寄ってみようかと考えながら歩いていると、五十歳前後のスーツを着た男性がいきなり話しかけてきた。
「うちは可愛い子が揃っていますよ。いかがでしょうか?」と言う。
「イヤ結構」と伝え、私が少し歩調を早めると「今ちょうどキャンペーン中ですので、お値段がお安くなっておりますよ?私が言うのもなんですが絶好のチャンスだと思いますが・・・」と言って、ついては来ないもののしつこく声をかけてくる。
「本当に結構だ。それに、今日はもう決めた店があるんだ」
明らかに怪しいポン引を追い払うために、私は予定にない店を利用すると言ってしまったが、以前そのような店で痛い目にあったので、そのポン引から急いで距離をとった。
■口からでまかせのつもりが本気になってしまう
しかし、私の心に楽しく女性と飲食を共にするイメージが浮かんでしまったのだ。
口からでまかせに別の店で遊ぶと言ったが、それを頭の中から追い出すのは、なかなか難しいことで誘惑に抗いきれなくなってしまった。
タクシーに乗るつもりで、私は道路の側に立っていたが、どうしても女性と遊ぶイメージが抜け切らずに元来た道を引き返し、タクシーが通りもしない道を歩いて行くと、川端の公園にたどり着きベンチに腰かけた。
6月末の夜である。
まだ梅雨明けにはなっていないが、朝方から一日中澄み切った様子を見せてくれた空は、飲み会でどんちゃん騒ぎをしたのにも関わらず、明るさを残したままだった。
私は今日中に女性と遊ぶような予定だけでも立てておかないと、気が休まることがなかったので呆然としていたところ、ポケットからスマートフォンの振動が伝わってくる。
「また何か面倒くさいことが起こったのか?」と急いでマナーモードにしているスマホを取り出してみると、交際クラブ・デートクラブからの「新しい女性が入会いたしました」という告知だった。
「そういえばクラブに会員登録していたな」と登録していることを思い出して、早速その告知に掲載されていた女性とデートをしてみようと思い、コンシェルジュに連絡を取るとスムーズにオファーが成立した。
■待ち合わせ場所にポツリポツリと雨粒が落ちてくる
デートの日は早めに待ち合わせ場所に着いてしまったため、気晴らしにその辺を歩いた後、私は近くに郵便ポストの立っている自動販売機でタバコを買い、お釣りが出てくるのを待っていると突然、雨が降り出してきた。
通りがかりの人々が足早に駆け出し始めると、あたりにピカッとしたイナズマの光が現れて、それから間もなく音が響いてきた。
まもなく、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてくる。
飲み会の時とは異なり、実に梅雨らしい天気だと思ったが、何もデートをする日に降らなくていいものをと、今日は晴れだと話していた天気予報のキャスターに愚痴を言いたくなってしまったが、習慣として折りたたみ傘はいつも携帯していた。
当然その日も持っていたので、冷静に傘を広げて待ち合わせ場所に向かうと、目の前に困り果てている女性が目に入った。
「すいません。人を待っているんですけど、ちょっとそれまで傘の中に入っていいですか?」
と言いながら、若い女性が傘の中に白い首を突っ込んできた。
上品な香水の匂いが漂ってきたので、これからデートに出かけるつもりだったのだろう。
それに、待ち合わせ場所の近くにオロオロしながら立っていたので、おそらく今回のデート相手だろうと思った私は、彼女の無礼な振る舞いを咎めるようなことをしなかった。
「私はいいから、傘は君が使うといい」ともう一度女性の顔を確認するために、傘の外に出てじっくりと彼女を眺めていると、女性の方も私の顔をはっきりと見ることができたようで「あら」と声を上げた。
どうやら今日のデート相手だと気付いたようなので、レストランへ誘導しようとすると「そんな、一緒に傘の中に入りましょう」と自分だけ傘に入っているのが我慢ならないのか、馴れ馴れしく話してくる。
レストランの前に行き、雨粒から逃れることができると「あら、大分濡れてしまいましたね。 私が吹きますから」と傘をたたんで私が持っている折りたたみ傘のケースに突っ込むと、ハンカチを取り出し、自分の洋服よりも先に私についている雫を払う。
「若いのに、随分面倒見のいい女性だな」と私は感心して、レストランに入る前に彼女の連絡先を聞いてみることにした。