憧れの女性との失恋体験談
本当に自分が好意を持っている女性には、直接声など掛けづらいもの。
理由は実に明快。
変なことを言って嫌われたくないからです。
ですから、いざ声を掛けるとなると、はらはらどきどきして、ほとんど言葉にならない状態になることでしょう。
心底、彼女のことが好きだという証明でもあります。
私は高校時代にそんな素敵な彼女を知って、どうしたらアタックできるのかと悩みながら卒業を迎えてしまったという苦い経験があります。
しかし、第一歩の夢は大学に進学してから叶いました。
友人を通して初デートの約束を取り付けられたからです。
ただし、場所は私の住む彼女と同じ郷里からは600キロ以上離れた都心のど真ん中でした。
往復の運賃とデート代を何とかかき集めて急ぎ列車に。
結局は破綻になる運命とも知らずに、うきうきしながら東京へと向かったものです。
歌の文句ではありませんが、ほんの少しの勇気が私にあったなら…。
本当は私自身が傷つきたくなかっただけの話なのかもしれません。
「恋愛には勇気が不可欠。それでもダメなら、フラれて良かったと思える次なる出会いに向けて前進あるのみ!」。
恋愛を求める上で、大切な必須条件を学んだ、人生で最も苦くて淡い失恋体験でした。
それでは実らなかったこの淡い恋心。
参考になるかどうかは分かりませんが、お恥ずかしい失敗談の一部始終、紹介させていただきます。
交際クラブ・デートクラブに登録されている方々にも、懐かしい過去を思い出していただければともいます。
念願が叶った瞬間
高校時代の同級生だった彼女は、都内のK女子大に進学。
荻窪近くにある学生寮に入っていました。全く面識がなかったのですが、彼女と知り合いの別の同級生から連絡をとってもらいデートすることに。
OKの連絡が来たときは、まるで夢のような、念願が叶った瞬間でした。
急きょ軍資金を集め、前日、郷里を出発。特急と新幹線を乗り継ぎ、5時間以上掛けて上京しました。
東京駅からは、千葉大に通う友人の下宿に泊めてもらうことになり、総武線快速に乗って津田沼駅まで。
普通列車に乗り換え確か五つ目の駅で下車し、徒歩で数分歩いて友人の下宿に上がり込みました。
ずっと以前から相談相手でもあったこの友人からも、落ち着いていけと励まされながら、翌日の本番に向け眠れない夜を過ごしたものです。
当日は紀ノ国屋書店前で落ち合うことになっていました。
友人に書いてもらった地図を手に現地へ。
間違いなく会えるのかどうかといった不安を押し殺しながら、おぼつかない足取りで向かったことが、昨日のことのように思い出されます。
誘われたことに気づかず愚かな行動
実は彼女の方も以前からそれなりに私のことを知っていたようでした。
待合い場所で目と目が合った瞬間から、あのさわやかな笑顔が私の心を激しく揺さぶりました。
「これならいける!」
一方通行ではない確かな手応えを感じたものです。
実際、この後、東京に不慣れな私をあちこち案内してくれるなど、感触ありといった雰囲気が随所で見られたのですから…。
夕方には渋谷公園近くだったと思います。
彼女からの思わせぶりな誘いがありました。
にもかかわらず、鈍感で勇気のない私は、そのまま誘いに気づかないようなふりをして暗に断りを入れ、何事もなくそのまま一緒に東京駅へ。
混雑する山手線から見える見事な夕焼けに酔いしれながら、「自分の彼女にできたらどんなに幸せか…」。
勇気のない自分にあきれかえりながらも、そう思ったことを今でも鮮明に覚えています。
相思相愛の序章間違いなしだったのに…
この時点では、彼女にも私に対する想いは間違いなくあったのです。
住友ビルの最上階付近だったでしょうか。
気に入ったイヤリングを見つけたようで、私が買って贈ると、嬉しそうな眼差しを向けてきていたのです。
レストランで夜景を見て談笑しながら摂った夕食は最高でした。
相思相愛の序章間違いなし…。
それなのに私は…。
実にバカみたいに消極的過ぎたのです。
この消極姿勢が、後に彼女の心が離れていった原因になったことだけは間違いない事実。
今になってもまだ悔やみ続けている部分なのです。
ただ、夏休みで彼女が帰郷し、自動車学校へ通うというので迎えに行って、帰りにお茶を飲んだり、プラトニックでしたが結構楽しい時間を過ごしたものです。
さらに私はギター中心のコンサート活動をしていたので、彼女のために常連の喫茶店でリサイタルを開いて招いたりもしました。
ですから学校が始まり再び私が上京したときには、かなり親しい間柄になりつつあったのです。
態度一変、居留守も…。挫折越え、新境地へ
ところが次の冬休みが来て彼女が帰郷した時には、態度が一変していました。
雪がしんしんと降りしきる中、私は居留守を使う彼女の家の近くに車を止め、何時間も顔を出してくれるのを待ったものです。
彼女の異変を心配して付いてきてくれた友人は、しびれを切らして彼女の家に押し掛け直談判までやってくれました。
結局は「すでに彼氏がいるから…」との本当とも嘘ともつかない理由で、完全に拒否されてしまったのです。
私は狂喜乱舞し、酒の飲めないその友人を自宅に送った後、一人でやけ酒を飲み、彼女に思いの丈を綴った手紙を送りました。
まさに挫折中の挫折でした。
ここから立ち上がるには、どれほど時間が掛かったことか…。
それでも、この経験を基に、「大好きだった女性に、あのとき振られて良かったと思う次なる女性に出会えればいい」
との勝手な思いを打ち立てることができるようになりました。
そして、ここが出発点になったのです。
片思いだったり、相思相愛だったりの数々の経験が始まったのは…。
40歳で最大の恋愛劇。自戒と反省の日々
40歳になったとき、最大で最後の恋愛劇をやり、現在に至っています。
詳細についてはまた別の機会に、ということで…。
ちなみに、今は妻と成人した息子二人との極々平凡な4人暮らしを送らせてもらっています。
友人たちをはじめ周囲には周知の事実ですが、ここまでに至るには、苦労の連続。
波瀾万丈の日々でした。
やはり、若気の至りは後から痛い目に遭うものだと痛感している次第です。
恋愛経験の数々は既に過去のものです。それらを振り返りながら、将来展望を抱きつつ、自戒と反省の日々を同時に送れたら…との思いでいます。
フラれて良かったと思える次なる出会い…を求める姿勢を貫き、毅然とした態度でいることが最も肝心なことだと思います。
加えて、何といっても自分に正直になること。
正直になるには、やはり勇気が必要です。
勇気は年齢とともに萎えていきがちです。
ですから、できるだけ若いうちから勇気を振り絞って常に挑戦する姿勢を身につけることが大切だと思います。
まさに私の苦い半生を反面教師にしていただきたい気持ちでいっぱいです。
交際クラブ・デートクラブで良い出会いがあるよう幸運をお祈りしています。